シニアの年齢でも最新流行を追いかけ、おしゃれをこよなく愛する人は沢山います。ファッションに財産をつぎ込む老後も趣味としてはありですが、時どき考えてしまいます。「この人は服を脱いだら何が残るんだろう」と。
おじいちゃんになっても男の色気があるショーン・コネリーみたいな人は、たぶん素っ裸でいてもオーラがあると思います。でも彼が著名人ではなく、年金暮らしの独居老人だったら、どんな容貌になっていたでしょうか。
偉そうなことを言っている私だって、自慢できる何かがあるのか、すぐさま口から出てくる言葉はないのです。鏡の中に新たなシワを発見するたびに、後戻りできない人生を思い知ります。
今日は息子が孫娘を連れて、遊びにやってきました。マンションの敷地内にあるプールで遊ぶのが、夏休みの恒例となっています。私はキッチンに立つ格好のまま、付き添いで昼下がりのプールへ。すっぴんに帽子をかぶり、彼らが遊ぶ様子を写真に撮りまくって、おばあちゃんの一日を過ごしました。
幼い孫がティーンエイジになっても、カッコいいと言ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんでいるために必要なのは、若々しい服?ライザップ?美容整形? いいえ違います。ピンピンコロリと逝くまでは、経済的に自立していることだと気付きました。
この生活を維持するために、老眼鏡でパソコンに向かう徹夜仕事はキツいですし、適当な男を見つけて依存したいと思ったことは過去に何度もあります。でもそれじゃ、ブランド品はおろかユニクロのTシャツ一枚だって自慢できません。
服を脱いでも負けないものとは「背中」だと思います。子は親の背中を見て育つと言いますが、今を一生懸命に生きている背中は、100歳になろうとカッコいいはずです。
だらしない飲んだくれの生活は、去年の冬でピリオドを打ちました。余計なものは買わず、断捨離することを始めました。時代の空気を敏感にキャッチして、真摯に打ち込めるものを持ち続けたい。そのアンテナを研ぎ澄ますため再スタートを切った還暦は、決して遅すぎない年齢だと思っています。